価値観 ≒ 勝ち感。いつからこの数式が、成り立つ場面が増えたのだろうと考えることがあります。

年収でも、肩書きでも、「勝ったかどうか」でもない

年収でも、肩書きでも、「勝ったかどうか」でもない。本来、その人の価値はそういうもので測るものではなかったはずです。

それなのに、いつの間にか私たちは、他人と自分を並べて位置を確かめる癖をつけてしまいました。同期より上か下か。同級生と比べてどうか。SNSを開けば、誰かの成功が並んでいます。

他人と比べるための物差しに、そもそも意味はあったのか

他人と比べるための物差しに、そもそも意味なんてなかったのかもしれません。

比べることが完全に無意味だとは思いません。他人の姿から学ぶことも、刺激を受けることもあります。ただ、比べた結果で自分の価値が上下すると考え始めたとき、その物差しは人を苦しめる道具に変わります。

そして厄介なことに、この物差しには終わりがありません。上には上がいて、勝ち続けることは誰にもできない。だとすれば、その勝負に乗り続けること自体が、どこか無理のある話です。

最終的には、自分がどう生きたか

最終的には、自分がどう生きたかではないでしょうか。

誰かの役に立てたか。大切な人と過ごす時間を持てたか。納得のいく選択を重ねてこられたか。順位のつけようがないことばかりですが、振り返ったときに残るのは、そういうものなのだと思います。

政治の役割は、この「勝ち感」を競わせることではありません。誰もが自分の人生を自分の物差しで肯定できる、その土台をつくることだと考えています。

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